3.11から10年に思う

3.11の東日本大震災から10年が過ぎました。
50歳代だった私も60歳代になりました。

震災では、現在でも復興どころか復旧も進まない地域もある中にあって、宮城県女川町は防潮堤に遮られない町として、復興に向けて進化し続けている町として注目していました。


『 復興には長い時間がかかるから、まちづくりの計画・企画・活動は将来を担う30代や40代に任せたい。私はもう還暦で、これまでの成功体験や経験から、考え方も手法も決まっているし、固定観念も連携する人の輪も固まっている。果たして、そういう人が先頭に立っていいのだろうか。
せっかく新しいまちを作ろうとしているのに、旧態依然のまちを作ってしまったら意味がない。だから、20年後を担う30代40代に任せたい。私同様、60代以上は口を出さず、50代は口を出しても手は出さないまちづくりをしよう。もちろん、知恵は貸すし、お金が必要なら集め、難題時は矢面に立つ。女川は、“還暦以上、口を出すな”のまちづくりをやります 』 -蒲鉾本舗 高政 高橋正典

【地方に関わるきっかけプログラムVol.1】Areal Japan


『まちづくりに大切なのは、「消費活動を目的としない人」にたくさん来てもら うこと。人が集まれば、必然的に飲食店などのサービス産業が発生します。するとエリアに活気が生まれ、不動産価値は高まっていく。この順番を間違えてしまうと、まちづくりはうまくいかないと思います。』―(有)梅丸新聞店 阿部喜英

【地方に関わるきっかけプログラムVol.2】

高齢化率も決して低くない町にあって、震災がきっかけとはいえ、震災直後からすでに関係人口を考え、将来的に「住み来たる」活動を進めてきたことに驚きを覚えます。

女川町とよく似た高齢化率・人口だと思われる新得町ですが、現在、女川町は少しずつ人口が増加し、新得町は人口が減少し続けています。

「新得町には若者はいないんですよ」

新得町の町づくりは、今まで経験豊かな町内の有識者が担ってきています。 今やアメリカ合衆国第46代大統領 ジョー・バイデンは、1942年(昭和17年)の第二次世界大戦中に生まれですから、かの国では高齢者の彼に未来を託しています。
新得町も今後とも、かの国にならって多分若者とはいえない方々に未来を託すことになるのでしょう。

例えば、新得駅前再整備です。
駅前の一方通行ロータリーに、かなりの頻度で逆走してくる自動車を防止するための対策を考えることから始まったのではないかと思いますが、現状の計画では、到底、逆走対策になっているとは思えません。
例えば、道の駅構想です。
スマートインターチェンジ設置の為とは思いますが、駅前ではなく、別のスペースに設置を計画しています。そこに売店や飲食店、さらにはオートキャンプ場を計画しています。そこで泊まった方々が街なかに回遊するでしょうか。

「新得町には若者はいないんですよ」

多分、新得町は、補助金でも何でも利用して器は用意してくれることでしょう。
ということで、さあ、どなたか経営されますか?

誰かが勝手に作ったのではなく、みんなで未来を考えて作っている町を、現在も続けている女川町はその経過のひとつの姿として、『シーパルピア女川』を出現させました 。

新得町には、できないことなのでしょうか。

女川駅前にぎわい拠点

【防潮堤のない町 女川復興物語】(1)復興まちづくり「成功例」の秘密産経ニュース