次世代に大切なものをつないで行く試み

アルテピアッツァ美唄 『真無』

アルテピアッツァ美唄 『真無』

なんと贅沢な空間なんでしょう。

刈り込まれた芝、さりげなく、それでいて存在感を感じる作品群。それとなく設置されているベンチ、広い芝生エリアにもかかわらず、大木による木陰があって、ほんとうに丁寧に人の手が入ってことを感じます。

以前から気になっていた『アルテピアッツァ美唄』に行って来ました。

『アルテピアッツァ美唄 – Wikipedia』を読むと

旧炭住街にあった美唄市立栄小学校の廃校校舎と、周辺の約3万平方メートルの敷地を再整備し、安田侃(かん)の彫刻作品約40点が展示されている。木造校舎と体育館をほぼそのままの状態でノスタルジックな雰囲気の漂う展示スペースに転用しているほか、敷地内も整備して彫刻を周辺の自然と調和・融合するように展示している。入園は無料で、木造校舎の1階は「市立栄幼稚園」としても使われている

昭和38(1963)年に三井美唄炭鉱が閉山し、昭和47(1972)年に三菱美唄炭鉱も60年の歴史に幕を降ろしました。そして昭和56(1981)年、旧三菱地区で最後まで残っていた栄小学校が併設する幼稚園を残して閉校します。この地はこの国の過去のエネルギー政策に翻弄された地域の一つです。

アルテピアッツァ美唄のWebサイトを見ると

美唄市は、かつて北海道有数の炭鉱都市として栄えた。1973年に最後の炭鉱の灯が消え、炭鉱住宅はひっそりと静かになり、子どものいなくなった学校は閉校した。それから時が過ぎ、イタリアで創作活動を続ける美唄出身の安田が、日本でアトリエを探していた際、1981年に閉校した旧栄小学校に出合う。その朽ちかけた木造校舎には、子どもたちの懐かしい記憶がそのままに残っていた。そして、校舎の一部に併設されていた小さな幼稚園に通う子どもの姿が、彼の心をとらえた。時代に翻弄された歴史を知らず、無邪気に遊ぶ園児たちを見て、彼は思う。
「この子どもたちが、心をひろげられる広場をつくろう」。
それがアルテピアッツァ美唄誕生のきっかけとなった。

アルテピアッツァ美唄 『天聖 天モク』

アルテピアッツァ美唄 『天聖 天モク』

このエリアの素晴らしさは、小学校は閉校したものの、幼稚園がその一階部分に存続されていることではないでしょうか。さまざまな展覧会やコンサートなども開かれるこの彫刻公園ですが、最高の作品は、常に明るい歓声がこだまする子供たちの姿でしょう。子どもたちが、心をひろげられる広場は、実は大人たちの心を広げられる広場になっています。

安田さんは言っています。

「アルテピアッツァは幼稚園でもあり、彫刻美術館でもあり、芸術文化交流広場でも、公園でもあります。誰もが素に戻れる空間、喜びも哀しみも全てを内包した、自分自身と向き合える空間を創ろうと欲張ってきました。この移り行く時代の多様さのなかで、次世代に大切なものをつないで行く試みは、人の心や思いによってのみ紡がれます」

少子高齢化の新得町にとっても「人の心や思いによって紡がれるていく次世代に大切なものをつないで行く試み」は必要なことです。欲目かもしれませんが、新得町には『アルテピアッツァ美唄』の空間以上の空間が点在しているのではないかと思います。もしかして、これと同じ空間を作ることも可能でしょう。多分、現状においてもハード面では引けを取らないことでしょう。しかし理解に容易い、そのような二番煎じの箱物を構築したところで人など継続的に訪れるはずがありません。

あの地の空間が創造され続けて二十数年。もちろん安田さんの存在は大きいものでしょう。しかし彼一人の力ではできません。ここには私たちの知らない方々が、彼の思いに共感し地道な尽力で今なお継続されていることこそがこの空間を演出し続けている力なのでしょう。

残念ですが、我町の得意としない部分なんでしょうが・・・。